「現代文」と「小論文」

「現代文」と「小論文」―同じ「日本語」でありながらこの二つは似て非なるものです。この2つの違いについてはすでに非常に多くのことが語られてきていますが、あえて今回語ろうと思うのは、早稲田と慶應の違いを象徴的に示していると感じられるためです(早慶の比較については改めて詳しく論じます)。

「現代文」は、現代日本語で書かれた文章の読解です。早稲田大学の『国語』は、特に「現代文」が非常に難しく、なかでも法学部が最高難易度であることは比較的よく知られていると思います。早稲田の場合、高校科目である『国語』という枠はきちんと堅持していますが、文章自体と設問(特に選択肢の判別)の難易度は、平均的な『国語』の評論文のそれを大幅に上回るものであることには注意する必要があります。

他方「小論文」では、与えられた課題・論題につき自分の考え・立場・主張を、具体的な根拠に基づき説得的に論じることが求められます。先日述べたTOEFLⓇの「Independent Writing」(通常のライティング)も、これと同じフォーマットで解答するものです。個人的に小論文は、大学でいうところのレポートや論述試験に近い性格のものだと思います。ただ、大学入試の小論文は、大学で特定の科目を受けている一環として、その習熟度を測るというものではないので、入試までに受験者が自分自身で可能な限り時事問題や専門分野の知識を蓄えておく必要があります。慶應は、やはり「先取り」ということなのかなと思います。

両者に共通するのは、「要約」を求められることがある点です。当講座でも、現代文にせよ小論文にせよ、「文章の要約」技法習得を日本語読解の到達点の一つとして位置づけ、重視していきます。

小論文というとやはり私大では慶應が有名ですが、早稲田ではかつて、第一文学部で小論文が課されていました。スポーツ科学部の「小論文」は、2025年度入試より「総合問題」となります。

大学に入れば、高校までと違って、また『英語』とも違って、もう『国語』の授業は基本的にない(「文章の書き方」の授業や、国語国文科は別として)ので、レポートや論述試験、ゼミ発表や卒論、先生方とのメールでのやり取りや就活を通して、「自分に合った、自分だけの、伝わる日本語」を磨いていく必要があります。

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